普通という境界線
普通とはなんでしょうか?
意味は理解していても
説明しろと言われると
少し難しいですよね。
標準的・一般的・平均的
色々言い換えはできますし、
全体を通して一番中間の評価
といった表現で
問題ないかなと思います。
この《普通》という言葉の解釈が
普通ですよね。
普通という価値観、
これを改める事が
これからすごく役に立つ。
今回はそんなお話です。
では具体的に
どう改めていくのか解説します!
特に難度における
普通とは
平凡な結果の事を指しますが
これからはこのように言い換えてみては
いかがでしょうか。
普通=なるべくして起きた結果
つまり
偶然ではなく
必要な手順を踏んで、
当たり前のように安定した結果を出す。
出来ないのは
出来ないやり方を行うなら
普通のことです。
トッププレーヤーが
安定したパフォーマンスができるのは
できるやり方をしてるから
普通にできるんです。
結局は何事も普通なんですよ。
プロセス通りの結果でなければ
それは普通ではない、異例、ですが。
余談ですが
他の例えでいうと、
悲惨なプロセスの先に起きた犯罪
これは
他人がどうこういう筋合いの無いものです。
その状況であれば犯罪を犯すのが普通
という表現はしませんが、
少なくとも
犯罪を犯したという結果だけを
安易に否定することはできません。
得てして結果はあまり関係なく
大概が、
確たるプロセスの上で
起こるべくして起こっているんです。
その事をまず頭に置いていただけたらと
思います。
人の力は矮小ですから、
環境要因で
ほとんどの結果は変わってきます。
それも普通です。
なので皆さんにも
これから何かを考えるとき、
ぜひ普通の裏側を探ってみて下さい。
多くのものが見えてくるはずです。
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